PSS【洛中の蝶 2】

第二話です。


 立つしゃもじを考えた人は天才だと思います。これからしゃもじを買おうという方はぜひ。


【洛中の蝶 1】に頂いたコメントにお返事させていただいています。お心当たりの方は覗いてやってくださいね♪
 Akさま、得意かわからないけど貴族ものは大好きなんです♪イギリスゴールデンエイジ、フランス革命以前、平安時代・・・色々怪しい点は見逃して下さい(´д`ι) 残念ながら森永くんは女性の血は吸わないでしょうね( ゚∀゚)アハ 色々お忙しいでしょうが、萌えに時間を取れると良いですね♪コメントありがとうございました!
 Haさま、この時代の眼鏡はまさに兄さん仕様ですよ!爵服(後でちょっと出ますが、華族の最高礼服。階級で襟などの色が違う)がまた二人に似合いそうで!(;´Д`)ハアハア だ、誰か描いてくださらないかな・・・?!





思うように生きられる者が
この世の中にどれほどいるのだろう
しがらみから解き放たれたとしても
大空を羽ばたく羽根はなく
足元には底なし沼が拡がるだけ




 大正天皇の不調により皇太子が摂政に立ってすでに五年、明治の動乱が落ち着いたかのようにも思えるこの頃ではあるが、列強の動きも油断がならず、世界大戦後低迷する景気に世間は先行きを見通せないでいた。
 一方で教育や政治には新しい風が吹き、宗一のように文化的発展を望む人間には明るい兆しも多く、巷には不安と期待と杞憂と楽観が渾然としている。


「宗一さま、御ぐしを整えますのでお座り下さいませ」
「ああ、頼む」
 女中に身支度を手伝わせながら、宗一は夜会を楽しみにしている自分に気付いた。いつもぐずぐずと用意を渋っていたのが嘘のように。理由は分かっている、あの男に会えるからだ。ただぼんやりと時間が経つを待っていた以前とは違い、近頃ではあっという間に夜が過ぎる。

 ホウルに入って見回しても、頭二つ分抜け出たような長身は見当たらなかった。大体は森永のほうが先に来ているので、今日は何か用事でもあったのかもしれない。約束をしているわけでもないので、連絡がないことに不満を持つのはおかしいだろう。
 今夜は叔父もいない。叔父か森永がいなければ、宗一には夜会に出る意味自体なかった。こんなことなら籍を置く医科大学に行って、論文の翻訳を進めれば良かったと思う。少し待って男爵が姿を見せなければ帰ろうと、最近ご無沙汰だった露台に直行する。もう随分と夜風は冷たい。人いきれで暖かい室内と気楽な空間とを秤にかけ、結局宗一は上衣の襟をかき合わせた。

(静かの海、晴れの海、雲の海……)
 欠けはじめた月の地図をさらって時間を潰す。次は星座を等級順に列挙しようかといったん視線を下げ、疲れた首筋を揉むために手をやったところで背後の人影に気付いた。
 森永かと振り返った宗一は、しかしいっそ気付かねば良かったとたちどころに後悔した。
「どうも、三好侯爵。こちらにお戻りとは存じあげず」
 正直なところ口をききたくないが、儀礼上無視も出来ない相手だ。三好侯爵家はとっくに東京に移っているが、地元で経営している会社を見るために、侯爵は一年の半分近くを名古屋で過ごしている。華族で商売に成功している家が少ないためやっかみもあるのかもしれないが、阿漕な商売をしているともっぱらの噂だった。しかし宗一がこの男を嫌うのはその点ではなく、侯爵の視線だった。計算高さが透けて見える細目で、まるで身体を舐めるように見る。中年の侯爵は妻子がいるにも関わらず、男色の噂も絶えない。
「今来むと 言ひしばかりに 長月の……か。随分と悩まし気じゃあないか」
「御冗談を」
 にこりともせず言い捨てた宗一から視線を外さず、侯爵はゆっくりと近付いてきた。口元に浮かぶのは下卑た薄笑いだ。
「気になる話を聞いてね。東京から来たと自称するどこぞの馬の骨男爵と最近親しいとか」
 目の前まできた侯爵は、手すりに片肘を置いて寄りかかった。きつい香水が鼻につく。
「森永男爵のことですか。馬の骨とは失敬じゃありませんかね?」
 宗一は一歩下がった。しかしそれ以上下がると自ら暗がりに踏み込むことになる。
「私は東京でも顔が広いが、あんな男は見たことも聞いたこともない。……騙りじゃないのかな?」
「男爵なんて大勢いるでしょう。貴方が知らない者だっているはずだ」
 更に一歩近付いてきた侯爵から離れたく、しかし隅に追い詰められることを忌避して宗一は逡巡した。侯爵がもう一歩、踏み出した。
「しかし彼は非常に目立つだろう。社交界に顔を出していて気付かないわけがない。だろう?」
 森永男爵が目立つのは確かだ。人好きする容貌にあの身長。だが気品のある態度が、騙りだという疑いを寄せ付けない。
「……君が色々大変なのは私も知っている。必要な額を言えば用立ててやるから馬の骨に構うのはよすんだ」
 金目当てで森永に媚びているとでも言いたいのか。侮辱に青ざめた宗一のタイに、延びてきた侯爵の手がかかった。この男も背が高く、宗一よりやや低い程度だ。興奮を抑えた息遣いが顔にかかり背筋が粟立つ。不敬にあたるが構わない、一発お見舞いしてくれると宗一が拳を握り締めたとき、侯爵の背後に音もなく忍び寄る森永男爵が目に入った。

「こちらでしたか伯爵、お待たせ致しました」
 突然掛けられた声に、侯爵は滑稽なほど慌てふためいた。その様子を余裕の笑みで流し、森永は宗一に話し掛けてきた。
「失礼ですが、こちらは……?」
「あ、ああ、紹介しよう、三好侯爵閣下だ」
「森永です。どうぞお見知り置き下さい」
 優雅に礼をとった森永は、しかし手袋を外しはしなかった。その間に気を持ち直したのか、侯爵は咳払いをして威儀を整えた。森永の含みある態度を挑戦と受け取ったらしい。
「三好だ、噂の人物に会えて嬉しいよ。君は東京から来たそうだね?」
「そうですが、なにか」
 侯爵のあからさまな疑いの眼差しも、森永には堪えなかった。宗一の目にはすでに優劣が決しているように映る。
「私も最近まで東京に居たが、君にはお目にかからなかったと思ってね。一度見たら忘れなさそうだが。本当に東京からかな?」
「そうですよ。私も閣下をお見かけした憶えはありませんね。随分ハイカラな髪型をしていらっしゃるから、お会いしていたら忘れるはずありません」
 侯爵は気の毒に、後頭部がすっかり禿げ上がっていた。思わず噴き出した宗一をじろりと睨み、怒りに紅潮した顔で侯爵は低く唸った。
「私を怒らせるとは上等だ。覚悟しておきたまえ」
 足ばやに去っていく後ろ姿に肩をすくめ、森永はまだくつくつと笑っている宗一を嬉しそうに見た。
「いいのか、あれ。相当怒らせたぞ」
「構いやしません。それより大丈夫でしたか?何か強いられたのでは」
「いや何でもない。あれは殴るより効いたろうな」
 先ほどのやり取りを思い出すとまた笑いが込み上げる。
 手すりに寄りかかった二人は、結局宗一が寒さに音を上げるまで、そうしてくすくすと笑いあっていた。



 月明かりが差し込む部屋に人影があった。カーテンは引かれておらず、よく調えられた室内が蒼く浮かび上がっている。暖炉を囲むように品良く据えられた小振りの長椅子に、部屋着に身を包んだ少女が腰掛けていた。その膝には床に座り込んだ男が頭を載せ、火の気配のない暖炉をぼんやりと眺めている。すでに朝晩は冷え込む季節なのに、薄物しかまとっていない少女ですら寒さに凍える様子がない。月光にひどく白く見える幼い手が、手元の黒髪をさらりと梳いた。
「かなこさん、俺、あの人が欲しい」
「わかっているんでしょう……駄目よ」
 男は一回りも離れたような少女に甘えた声で縋る。少女はまるで母親が小さな子どもをあやすように、その髪を撫でた。
「この世に繋がりを持つ人には手を出さない。私のルールよ」
 幼い声にはきっぱりとした響きがある。男は頑是ない仕草で、絹の衣に頬を擦り付けた。
「でも……嫌だ、あの人が誰かのものになるなんて」
「彼が同じように思ってくれるのならね。あなたの正体を知って、その上で」
「ここにはいつまで?」
「長くても二年かしら」
「短過ぎるよ……」
「それ以上は危険よ」
 優しい手は繰り返し黒髪を梳く。男の喉元には自分だけ残るという選択肢が引っかかっていたが、その一言は一度も口を出たことがなかった。
「かなこさんは酷い。俺が泣くこと分かってるくせに」
「あなたのためでもあるのよ」
 すん、と鼻を鳴らしてみせても少女の手は止まらなかった。
「あなたはおっちょこちょいだから。私から離れて生きていけやしないわ。言うことをお聞きなさい」
 実際男は新たな生_____または死_____を受けてから、少女の庇護のもとを離れたことがなかった。己で生きていく才覚がないことはよく分かっている。
「ひどい……」
 そう呟きながらも結局は言いつけに従うだろうことを、少女も男も疑いはしなかった。



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