PSS【歌う鳥はいつも籠の中 9】

 第9話です。
 今回で終わると思ってましたが、もう一回延びました。そして今回ちょっと長いですので、どうぞおヒマな時にお相手していただければと思います。


 前回のSSでは、森誕というイベントにもかかわらず、店長へのお祝いの言葉をたくさん頂きましてありがとうございます(*´ω`*)ムフ 店長、幸せ者です(^ ^)
 次回は兄誕で記事アップを目論んでおりますが、あと一週間しかない事実にガクブルしております・・・!む、無理かも・・・(;´༎ຶД༎ຶ`)


※私信※
Kaさまへ
 コメントありがとうございました!オススメの本は知らなかったので、ぜひ読んでみたいですね。残念ながら利用している電子書籍サイトには取り扱いがなかったので(´・ω・`)、どっかで見つけられればな〜と思ってます♪




ご訪問・拍手・コメントありがとうございます!











 誰かが呼んでいる。
 何度も……なんども。
 ここにいる、と叫びたいのにどうしても声が出ない。眠いのだ、とてつもなく。


あなたとひとばんでもだきあってすごせるならなにもかもなげうったってかまわないのに


 誘い文句は意識をとろかすほどに甘く、そのくせ手を差し伸べようとすると意地悪く笑って身を躱してしまう。
 やめてくれ、何もかもだなんて。口にしたら真実になってしまう。


……ソウ


「……いちくん、宗一君」
「ん」

 この手を取るつもりがないならいっそどこかへ行ってしまえばいい。なのに付かず離れず影のように纏わりつき、延々と愛を囁くのだ。

_____まるで呪いのように。



「巽 宗一博士!」
「ぅわっ!!」
 突然呼び覚まされ、跳ね起きた宗一は椅子から転げ落ちそうになるのをかろうじて堪えた。声の主を探して忙しく視線を巡らせ、瞬時に上がった動悸と呼吸を抑えようと胸に手を当てる。
「驚かせて悪いね」
 いつもは沈着な所員の慌てぶりに苦笑した柔和な顔はここ、ガニメデ基地の所長である福島だった。福島はすみません、と決まり悪げに呟いた宗一に微笑みかけ、その薄い肩を労うように軽く叩く。
「いやいや、昨日も遅くまで頑張ってたとか。熱心なのはいいが、無理はしないように」
「……はい」


 ガニメデ_____木星の第三衛星。あわせて通称ガリレオ衛星と呼ばれるイオ、エウロパ、カリストの中で最大直径を誇る氷の星だ。人類が居住地を着実に地球外へと広げていく中で、厳しい天体環境がいまだその侵略を拒んでいる。
 かと言って地下に海が眠る貴重な星を見過ごせるほど、近年の爆発的な人口増加問題には解決策が見出されていない。月、火星に続くテラフォーミング候補として優先度は低いがそれなりに期待されているガニメデでは、今のところ各分野の研究者が地道にデータを取り続けている段階だった。彼らは華々しい変化も結果もなく、長期間を隔絶された環境で過ごさねばならない。そもそも協調性があるとはお世辞にも言えない基地メンバー達だったが、福島はそれを父親のような鷹揚さと厳しさで包み込み、ともすれば衝突しがちな彼らを一つの目的に向かってまとめ上げているのであった。


 昼食後休憩スペースでうたた寝をしていた宗一は、福島に促されて通路に出た。吹き抜けのホールを見下ろして壁のぐるりに直付けされた通路は、増光板を通して外光を取り込んでいる。ガニメデから太陽は遠いが、木星が巨大な反射体として働くため、昼夜を通じて一定の光量を確保することができる_____ある時間帯を除いては。

「先日話した作業団員が到着したんだ。今重力調整と粉埃除去をしてる」
「ああ、サイボーグのヤツらですね」
 手を背後に軽く組み、宗一と並んで歩きながら福島はホールを顎で示した。所在無げに立っている受け入れ担当が二人、何事か話し合っているのが見える。どこか吐き捨てるような口調で応じた宗一に、福島はおや、と視線を横に戻した。そう言えば作業員の話をしたときも、彼は随分な仏頂面だった。いつものことなので特に気にしなかったのだが。問いかけるように片眉を上げた福島から目を逸らし、ぼそぼそと答える宗一の言葉は、なぜか言い訳のようにも聞こえる。
「中途半端で嫌なんですよ。ロボットのほうがずっと扱いやすいし役に立つ。それに俺はサイボーグなんて診たことありません」
「そう言わずに。医学と工学、両方の博士号を持ってるのは君だけなんだから」
「そりゃ仕事なんで……」
 福島はこの気難しい青年が、言動と裏腹に心根が優しいことを知っていた。サイボーグに関しては昔から様々な意見がある。倫理問題、ロボットや人間に対しての位置付け、単純な嫌悪感を由来とするものまで。偏見からサイボーグを差別的に扱う者もいないわけではないが、宗一の態度が蔑視とは異なることを確信し、福島は問題なしと判断した。こういうのはほぼ勘だが、福島は感情の機微に敏かった。経験は長いものの地質学者としてはパッとしない福島がこういった施設の長を歴任しているのは、だからこその地位と言える。
「ほら、来たよ。僕は挨拶しに行かなけりゃ」

 ホールには通路を隔てる扉がいくつかあるほか、半円状の大きな両開きのシャッターがある。二重扉になっているその先には除去ルームがあり、そこからシャトル格納庫と、外に直接出られる出入り口へと続いている。
 ビープ音を響かせてシャッターが開くと、どやどやと出てきた集団はみな体格の良い、荒くれた雰囲気の男たちだった。粉塵は払ったはずなのにどこか小汚なく見えるのは、白い床に茶色い作業服で立っているせいか。物珍しげに辺りを見回す男らは総勢で8人、先頭に立つ黒髪の男がリーダーらしい。男が背後に指信号で合図をすると、ざわついていた作業員らが一斉に姿勢を正した。
 出迎えた所員に軽く頭を下げたリーダーは、階段を降りていく福島にも気づいて目を上げた。愛想の良い微笑みを浮かべた男は後に続く宗一へと視線を流し、そこで大きく瞳を見開いて動きを止めた。一瞬茫然としたように宗一を見つめた後、みるみる破顔する。

「知り合い?」
 男が熱心に自分の背後に笑いかけていることに気付き、福島は足を止めて振り返った。あれは相当親しい相手に偶然出会った時の反応だ。だが宗一の表情は険しい。唇を引き結んだまま、少々の間を置いて首を横に振る。
 福島はふうむ、と呟くに留めた。いま追求することではあるまい。降段を再開してホールに立つと、福島はメンテナンス技師として、巽 宗一博士を作業団員らに紹介した。



「お前で最後か。森永、哲博。まさか地球産のサイボーグとはな」
 医務室で順番にメディカルチェックを行い、最後にやって来たのがリーダーの男だった。他の作業員たちと同様背が高く体格もよいがどこか雰囲気が異なり、洗練された印象がある。まず目を引くのはその黒髪だった。地球では稀に表れる髪色だと聞いてはいるが。
「変わり者とはよく言われますよ」
 カルテを手にしげしげと頭髪を観察する宗一に森永は苦笑し、指示される前に回転椅子に座って上着とシャツを脱いだ。逞しく鍛えられているこの身体に一見、人工物が組み込まれているようには見えない。

 サイボーグの現場作業者は危険の多い未開発地域での仕事などを請け負う。手を加えない身体を至上とする風潮の中で、サイボーグになるのは火星出身者がほとんどだ。火星には_____テラフォーミングの影響だと噂されるが_____筋肉を蝕む風土病が蔓延しており、罹患すれば動けなくなる前に身体を機械と交換するか、命が尽きるまで寝たきりになるかどちらかしかない。病の進行は早く、サイボーグ化は金がかかる。だから人生をまだ諦められない若者はブローカーに借金をし、リスクの高い仕事で稼ぐためやっと火星を離れるのだ。火星を放棄すれば良さそうなものだが、地球や月は土地が高すぎて富裕層しか住めないし、スペースコロニーの建設は人口増加に追いつかない。それに火星には貴重なレアメタルが産出されるため、危険を冒しても渡星する者が後を絶たなかった。

「機械部分は腰から下と肩、腕、背骨の補強と眼球網膜、呼吸器系から肺、食道から胃、泌尿器系……随分と多いな」
「やり始めると際限なくて」
 軽く笑う森永だが、機械化範囲も広ければ使われているのも良いもので、工学に詳しくても市場価格に疎い宗一には、いったい幾らくらいかかるものか見当もつかない。相当高くつくだろうことだけは想像できるが……さすが地球出身と言ったところか。
 腕を上げろだの口を開けろだのと指示する宗一を、森永はずっと目で追っている。宗一は気付かないフリで、事務的にチェックを進めた。その手が止まったのは、森永に後ろを向かせた時だった。
 細い指が戸惑いがちに背骨の中ほどに触れる。そこには小さな痣があった。その外周をなぞる指先に、森永は堪え切れず身を捩らせた。
「……くすぐったい!何ですか?いったい」
「これは刺青か?」
「ああ、いや、生まれた時からあるんです。……いつも」
 いつも、がどのいつもなのかは言わなくとも分かる。宗一はその、翼を広げた鳥のように見える痣をじっと見つめた。

 固まってしまった宗一を気にして、森永がもぞと背後に顔を向けようと動く。我に返った宗一は手を振ってそれを止め、改めて首からぶら下げていた聴診器を手に取り、森永の背に当てた。
 幅広い背中からは人間とは違う、様々な音が聞こえる。どくどくどくと響く心臓の音に重なる、シリンダーの摺動音、モーターのうなり。呼吸がフィルターを通過する時に生じる喘鳴様の音。しばらく眼を閉じて聴き入り、やがて宗一は手を降ろした。
「もういいぞ、終わりだ」
 背を向けてカルテに書き込む宗一を横目に、森永はことさら時間をかけて服を着た。去らない気配に宗一が顔を上げると森永は椅子を滑らせて距離を詰め、手を伸ばしてその頰に触れようとしたが、宗一は迷惑そうに身を引いて眉をひそめた。終わりだ、ともう一度宣告すると、立ち上がってさっさと医務室を出て行ってしまう。残された森永はしょんぼりと肩を落としたが、それを見る者はいなかった。



 コンコン、コン。
 控え目なノックに応える声はない。森永はためらい、足元の開扉ラインに視線を落とした。
 居住エリアをうろついても宗一の部屋が見つからない。通りかかった所員に聞けば、教えられたのは観測エリアの一角だった。しかも勝手に入って声を掛けろと言う。
 会ってどうするのだという気持ちは確かにある。先ほどだって拒否されたし、彼が何を考えているのかさっぱりわからない。森永は毎度逢いたい、触れたい、側にいたい、そればかりなのに。
「まあそれはいつものことか」
 どちらにせよ、貴重な時間を無駄にするつもりはない。森永はフッと短く息を吐き出すと、先ほどから見つめ続けている青いラインに足をのせた。


「巽博士……?いらっしゃいますか?」
 遠慮がちに問うた声に、今度は応答があった。短く「入れ」とだけで、誰何はない。
 薄暗いマット敷きの部屋は小さなドームになっていた。足元を照らす間接照明が壁に沿って巡らされているが、雑然と並べられた旧式の機械やら棚やら収納箱やらに遮られ、明かりはまばらに途切れている。一見すると無意味に広い物置きのようなそこの中央部にはパーテーションで仕切られた部分があり、そこから明かりが漏れていた。

「……まさかここが私室じゃないよね?」
 パーテーションの上から覗き込んだ森永が見たのは、デスクに向かう宗一と寝心地の悪そうな簡素なベッド、キャビネットがいくつか、あとは乱雑に散らばる小物だけ。当然ながらシャワーブースすらない。
「そのまさかだが?」
 本人は平然としたものだが、森永らのような下層作業員ですら、平素はもっとマシな部屋に住んでいる。こんな倉庫の片隅、プライバシーの欠片もないただの囲いだなんて。
「なにか悪さして居住区追い出されたとか?」
「アホ」
 思いついて言ってみたが、一言のもとに切って捨てられた。宗一は最初に来訪者を確認したきり頭も上げてくれず仕事を続けていたが、森永が居心地悪く身じろぎする気配には気付いたらしい。
「なんか用ならさっさと入れ」
「あの……どこから?」
 ちなみに改めて見回してもドアはない。宗一だって出入り口は必要なはずなのだが。
「どっからでも入れるだろうが」
 当たり前だろうと言わんばかりの調子に、森永は笑うしかなかった。そういうことじゃないだろうとは思うが、とりあえず失礼します、と声を掛けてデスク横のパーテーションを動かし中に滑り込んだ。

「あの……ちょっと不用心すぎやしませんか?ドアだってセキュリティチェックなしだったし、あなたが寝ている時だって、誰でも入って来れるじゃないですか」
 森永は囲いの中に入ったものの、手持ち無沙汰にキャビネットに寄りかかった。なにせ一つきりしかない椅子には宗一が腰かけている。割り合い高さのあるパーテーションではあるが、森永の身長では完全に顔が出てしまうため、どうにも落ち着かない。
「別に盗られるようなもんもねぇし。そもそも不審者を警戒するほど人間がいないのさ。まあ、お前らみたいのが今後増えるなら考えるか」
 不審者扱いに口を尖らせた森永の、子どもっぽい仕草を見て宗一は少し笑った。こんなスペースでも宗一はリラックスできるのだろうか。表情が緩んだのを認め、森永は嬉しくなる。

「お前らもご苦労なことだな。来たところでどうにもならん」
 だがそれは苦笑に近かったのかもしれない。宗一は怠そうに椅子の背に寄りかかると、ゆっくり手を持ち上げて、親指と中指の腹でこめかみを揉んだ。再び眉間に皺が寄った、そこには疲労が滲み出ている。
「エウロパのテラフォーミングの可能性を探るための装置を建設するって聞いてますよ。住める星が増えるならいいと思いますけど」
「物は言いようだな。可能性を探るため、か」
 宗一の体重で椅子がぎしりと音を立てた。仕切られただけの空間に音は響かず、広い天井に吸い込まれていく。手を下ろした宗一は、ぼんやりと天井を見上げた。まるで独り言のような呟きを目線だけで森永に送る。
「エウロパに限らず、ガリレオ衛星にドーム無しで住もうと思ったら、まずやらなきゃならんことがある。何だと思う?」
「え……と、大気の生成?」
「違う、木星の放射線抑制だ」
 やっと話の方向性が見えて、森永は宗一を改めて見返した。先送りにされている本質的な問題を解決する手段を探していたのだ、この真面目な研究者は。
「ところがこの放射線は木星の自転がもとで発生しているんだ。自転を止める気か?過去にそうやっていくつ星を破壊した?木星に手をつけたら、単なる失敗じゃ済まんぞ」
 確かにあれほどの質量と大きさを持つ惑星が急激な変化を起こした場合、太陽系に与える影響は多大だろう。だが見込みがあるからこそやってるのだと、単なる現場作業員にすぎない森永では思うしかない。基地建設に携わる森永の契約は5年間だが、その間に変更がなければ、木星には小惑星や老朽化したスペースコロニーを自転と反対方向からぶつけ高速回転を緩めようという計画が進んでいる。
 困惑して黙り込んだ森永に、宗一は話しすぎたことを少し後悔した。この男に言ったところでどうにもならない_____仕事とか権限とか、そういう問題ではなく。宗一は椅子の上でずり落ちていた身体を起こし、話を変えようとドーム天井の頂点を指差した。

「昔はここに望遠鏡があったんだ、木星を見るためのな。宙行撮影機が発達してから使われなくなって解体された。ここもずっと物置だったところを、俺が私室に欲しいと願い出たんだ。その理由を知りたいか?」
 森永が神妙に頷くのを見て、宗一は立ち上がった。手招きをして、囲いの中を横切る。
「よし、こっち来い」
 しかし宗一が腰掛け、ぽんと叩いて森永を呼んだのは彼のベッドだった。そのベッドに下心のあった森永は、却って躊躇してしまう。

「違うからな!変なこと考えんなよ!」
 森永のためらいに首をかしげかけた宗一は、やっと自分の行動が誤解を生むものであることに気付いたらしい。突然真っ赤になった博士に、森永はへらりと笑った。可愛いと思ったからだ。スキップでもしそうな足取りでベッドに近寄ると、仏頂面の宗一から横に座って上半身を倒すように指示される。
 同様に仰向けになった宗一がリモコンを操作し、照明を消した。外光を取り込む窓のない部屋は、たちまち暗闇に沈んでしまう。赤外領域まで見える森永の瞳は自動的に暗視モードに切り替えたが、森永はそっと瞼を押し閉じて通常モードに戻した。おそらくまだ暗闇に目の慣れていない、宗一と同じものが見たかった。
 しばらく無言のまま上を見上げていると、瞳が暗順応を始める。わずかな光を取り込んだ眼が捉えた高い丸天井は頑丈そうな合金で作られ、剥き出しの構造は古めかしい。宗一は左手首を掲げて腕時計を確認した。暗闇の中で眩しいくらいの文字盤には、時刻が二種類表示されている。

 ガニメデは約172時間で木星の周囲を廻る。86時間続く昼、86時間続く夜。だが人間の身体はそれを1日として過ごすことはできない。地球から遠く離れた天体に住んでも、体内時計はやはり24時間前後のままだ。だから宗一の時計に表示されているのはガニメデ時間と、それを7で割って約24.5時間を1日とした生活周期だった。ここに住む所員はみな、このガニメデの1日を1週間とするカレンダーに従って暮らしている。

 森永は仰向けの体勢のまま、顔だけを宗一に向けた。年若く優秀な博士はじっと天井を見つめたまま怜悧な横顔を晒している。
「俺は単に丸一日という認識でいたんだ。だがそれは24時間という意味なのか……仮に自転周期とするなら、ガニメデでは172時間になる」
 考え込む宗一が何のことを言っているのか、森永にはちゃんとわかった。二人に残された時間はあとどれくらいだろうか。
「……どう転ぶと思う」
 同じように顔だけ横に向けた宗一は、森永に意見を求めながら、その答えを待ってはいないようだった。

 宗一_____ソウは過去を思い出してから、呪いを解く方法を探し続けていた。山小屋で過ごした生を終えてからも何度か生まれ変わったが、手掛かりは見つからなかった。悪魔はそれっきり姿を見せない。タイムリミットぎりぎりまでもがき続けるソウを嘲笑うように、気がつけば鉄剣が置かれているだけだ。
 森永_____テツには何も言っていない。テツも昔のことを覚えてはいないようだった。言えるわけがない。毎世テツを殺すのは、ソウの呪いなのだと。それを知ったとき、この男はなんとするだろう。ソウを恨むだろうか。会うことを拒むだろうか。
 だから言えない。ソウにとっても、それは一生をかけて待ち焦がれる一日なのだった。たった一日でも、身も心も魂までも満たさんと注がれる愛を、失いたくはない。だがソウは疲れていた。逢いたい、終わらせたい。もう辛い_____終わらせる方法すら、わからない。
 見つめ合うように向かい合わせ、だが宗一は森永を見てはいなかった。薄茶色の瞳の奥には虚脱が宿っている。繰り返す生は哀しみを降り積もらせ、記憶は心を蝕む。
 森永も宗一と少しの時間しか会えないのは寂しいと思っていたが、宗一がなぜそんな悲しみに沈んでいくのかは理解できなかった。まるで自分を責めるような表情をする。宗一のせいであるわけがないのに。

 シーツに散らばった長い薄茶の髪は、頬の下敷きになって微かな光を弾いている。森永は首を伸ばし、頬に落ちかかっている前髪を掬ってそっと薄い唇に口付けた。宗一は瞬きで気を取り直し、森永を睨みつける。
「何すんだ」
「ん、泣いてるのかと思って」
「んなわけあるか」
 宗一はぷいと顔を背け、また上を向いてしまった。しかしそれほど怒った様子はなく、再度腕を持ち上げ、時間を確認した。
「もうすぐ正午だ……木星が完全に太陽を覆う」

 宗一が再びリモコンを操作すると、ゴロゴロと重い音を立てて天井のU字のスリットが開き、暗い室内に明かりが降り注いだ。楕円形に空が切り取られ、その中央に木星が見えて_____いるのだろう、通常は。今そこに在るのは煌びやかな星空をくり抜いた真っ黒な真円だった。何もかもを吸い込んでしまいそうな底知れない闇を紅い稲光が縁取り、踊るように明滅する。それは太陽の威を借った木星がガニメデに対し、常に見せている穏やかな顔は一面でしかないのだと牽制しているかのようだった。

「どうだ、凄い眺めだろう」
 木星の威容を見つめたまま、宗一が言う。うっとりと囁く声は、ほとんど独り言のようだ。
「絶景だ」
その紅い閃きは太陽が背後から木星の雲を照らしているものだ。太陽から力強い色を与えられ、かわりに木星は己の姿を失くす。それはまるで契約のような。
「俺にはなんだか……恐ろしく見えます」
 囁き返した森永の声は、少し震えた。宗一は答えない。
 そのまま黙って上空を見つめていると、黒円の片端にうっすらと燈色の筋が見え始めた。木星と太陽との位置関係がずれ始めているのだろう。

「木星はローマ神話でユーピテル、ギリシャ神話でゼウスの化身とされる。強大な力と稲妻を武器に、世界を絶対的に支配する神だ。名が付けられた頃にこんな光景は見られなかったに違いないが、昔の人間のほうが本質を見抜く力があったのかも知れないな」
 宗一は身体を起こしてベッドに後手をつき、顎を上げて空に見入っていた。横になるときに解いたので、彼の髪は淡く光を弾いて肩から背へ流れ落ちている。天窓から零れる星明かりに照らされた横顔に、森永は木星と同じ深淵を見た。
_____それは深い絶望。


「ちょっ……何だよ急に!」
 宗一が叫んだのは、ベッドに転がっていた森永が跳ね起きて宗一を抱きしめ、押し倒したからだった。力も強ければ動きも早い。抵抗はおろか、横倒しになってからやっと状況を把握できたような有様で。
「泣かないで……!」
 だが森永の声に、宗一は力を抜いた。何が琴線に触れたのかわからないが、胸に縋り付いた森永はもう鼻をすすっている。
「泣いてないってさっきから言ってんだろ」
 手を伸ばして頭を撫でてやると、抱きしめる力がいっそう強くなった。これ以上締められたら背骨が折れそうで、宗一はそのまま髪を掴んで引っ張った。咄嗟に出た「うぐ」という音で状況は理解できたらしい。腕の力が緩み、呼吸が楽になる。
 しばらく放っておくことにして、宗一は掴んだ髪を持ち直し、親指の腹を滑らせてみた。珍しい色の髪は時折り射し込む紅い光の中でも黒々と沈み、他の色に染まらない。宗一のものよりやや太くコシのある感触が指先に心地いい。

「おいこら!」
「ん〜……ちょっとだけ」
 宗一が油断したのを計ったのか、背後に回っていた手が怪しい動きを始めた。大きな手が服の上から身体の線をなぞり、シャツのなかに入り込もうと隙間を探る。
「ふざんけんな、だってお前……!」
 騒めく肌を押さえつけようと身体を緊張させた宗一は、ふいに拘束が解かれて一瞬ポカンとした。言ってはいけないことだったのかと思い至り、そろりと目をあげる。

「うん、抱けない」
 上半身を腕で持ち上げた森永は、穏やかな顔で宗一を見下ろした。
「必要な機能がもうないんです」
 メディカルチェックの時、そうじゃないかと宗一も思ってはいた。胃腸・泌尿器系を機械化したサイボーグは食物を摂らず、専用の燃料でエネルギーを補充する。それはゼリー飲料のようなもので、かさばらず燃焼効率が良い。補給の問題を軽減する上排泄の必要もなくなるので、厳環地での生存率が格段に上がるのだ。その手術の際、精巣の機能も取ってしまう場合が多いと聞いている。

「なんでそこまでするんだ」
 宗一は仰向けに寝転んだまま顔を歪めたが、泣きはしなかった。泣いても何も変わらないと悟ったときから、それは手段ではなくなった。
「おまえは俺に会わなけりゃ死なずに済むのに」
「だって会いたいもん。それに今度は死なないと思うんですよ。そのための身体なんだし」
 森永に悲壮な色がないのが、却って宗一の罪悪感を煽った。何もかも自分のせいなのに。何度生まれ変わってもソウはテツに何もしてやることができず、ただ愛を受け取って見送るだけ。いっそこの男の手で酷い目に遭わされれば気も晴れように、うまくいった試しがない。

 涙を堪えようと目を固く閉じると、勘違いしたのか唇を塞がれた。宗一は頭を逸らして逃げようとしたが、がっちり掴まれていてそれも叶わない。
「ん!んーんっ!」
「宗一さん……」
 酸素を求めて口を開けばたちまち舌に侵入される。再び手が身体を這い回り始めて、いつの間にかシャツをはだけた指が乳首をこすったとき、宗一は拳を握って思いっきりのしかかっている厚い胸板を叩いた。
「やめろって!ここは誰でも入ってこれんだよ、自分でそう言っただろうが!」
「えーっと、その」
 視線を泳がせた森永は、言いにくそうに口を開け閉めしたが、結局開き直って苦笑した。
「ドア壊しちゃいました」
「は?!」
「配線を2か所ほどショートさせてきたんで……」
 大丈夫、すぐ直せます。悪びれなく舌をぺろりと出して悪戯っぽく笑う森永は、いったん浮かせた身体を沈め、宗一の頬に顔を寄せた。甘えるように鼻で耳をこすり、軽く口付ける。
「だから、ね?」
「ね?じゃねーよっ!」
 それを聞いて安心してしまったのがいけない。一度敏感になった肌はもう収まりもつかなくて、宗一は息が上がるのを隠すこともできない。
「う……そーゆう機能ないって言ったろ」
「うん、でもあなたに触れるだけで楽しいから」
 胸元に点々とキスを落とされて、宗一は観念した。結局一度たりともこの男の腕を拒めたことはない。

「あ……あ」
 ふ、と熱い息を零して全身を震わせた宗一は瞳を潤ませ、上気した顔を隠すように手を翳した。しかし森永はその手を取ると頰に引き寄せ、すべてを視界に入れてしまう。
「うん、いい眺めだ」
 にこ、と笑って森永は顔を傾け、握った手の甲にくちづけた。そのまま視線を流し、宗一の表情に舌舐めずりする。
「絶景」
 それはさっき宗一が、木星のことを表現したセリフだ。そんないやらしい意味はまったく無かったのに。
「こ……の、変態!スケベ野郎!」

 橙色は三日月のように幅を広げていくが、室内はなお暗い。天窓から覗く星明かりだけでは二人の秘密は暴かれない。ガニメデが木星の影から完全に脱するまで_____まだ3時間以上。




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