PSS【歌う鳥はいつも籠の中 11】

最終話です。


やっと・・・!
なんと前回から7ヶ月ぶりという・・・orz更新自体もお正月ぶりですがorzorz
待ってるよ、と仰って下さった方々まことにありがとうございました。

最近生活パターンがまた変わりまして、少し時間が取れるようになるなーとワクワクしていたのですが、この一年で溜めた用事やら何やらかんやらで期待したほどでもなく・・・

書く習慣もなくなってしまいましたしね。リハビリ兼ねて、ぼちぼちやっていこうと思います。


当然皆さんお忘れだろうと思いますがこのお話、1周年記念でいただいたリクエストから作ったものでした。実は先日、17日に3周年を迎えまして・・・(苦笑)カウンターもおかげさまで20000を超えました。せめてお礼更新をしたかったのですが余裕もなく・・・うう(泣)

追記が長くなりましたのでリクエストの内容や元ネタのご紹介などは次回にさせて頂きますね。ラストがお気に召すかはさておいて、とりあえず終わってスッキリして頂ければ幸いです。



長く更新のない間にも、ご訪問・拍手・コメントありがとうございます!





 目が覚めると、そこは自分に充てがわれた部屋ではなかった。緩慢に目を動かせば、右手側にモニターや機器類がずらりと並んでいるのが視界に入ってくる。左手側には小ぶりで形の良い頭があった。しかし今は薄茶色の髪は括ったまま引きむしったのか、鳥の巣のような惨状になってしまっている。森永はゆっくりと腕に力を込めて持ち上げ、頭頂のつむじに手を伸ばした。
 皮膚形成がまだ途中らしく引き攣れる感触のある腕は包帯でぐるぐる巻きになっていて、その上いま中に収まっているのは安物の6軸アームらしい。思ったような動きができず、そっとのつもりがぎこちなく頭を押さえつけるようになってしまい、森永は慌てて手を離した。
 ベッドの端にうつ伏せて眠っていた宗一は、急に触れられてびくりと肩を揺らしたかと思うと、瞬時に飛び起きた。まだ焦点の定まらない瞳で森永の顔を凝視し、ついで腕時計に目を落とす。宗一は目を見開いたまま、ぼんやりと呟いた。
「24時間……経ってる」
 それはもちろん、彼らが今生で出会ってからの時間だ。二人はそろそろと目をあげてしばし見つめ合う。

「呪いを破ったのか?!」
「サイボーグ化は無駄じゃなかったんだ……!」
「いや、まだ173時間の可能性が残ってる」
「そんなことないでしょ!普通なら死ぬところだったんだし」
「おまえ、調子は?」
「動きづらいけどいいです!なんたってこれから宗一さんと一緒にいられ」
 わぁわぁと応酬して宗一に飛びつこうとした森永は、うぐと息を詰めて胸を押さえた。
「い……てて」
「急に動くなよ。何トンって氷の地盤に挟まれたんだ。いくらサイボーグでも脳を潰されたら最期なんだからな」
 我に返った宗一は森永の腕を取り、慎重に動かして具合を見た。包帯の上から順に触れ、ところどころ軽く押す。森永は大人しくされるままになっていた。

「皮膚の様子を見て、包帯を取り替えよう」
 立ち上がってトレイを持ち、棚に向かう後ろ姿を目で追う。ベッドに半身を起こして森永はうっとりとこれからの生活に思いを馳せた。仕事の契約は一件ごとだから、ガニメデでの工事を終えたらフリーだ。もともと借金持ちではないので、余裕は充分にある。宗一と二人でゆっくり食事をしたり、ソファで寛いだり。何てことない会話で過ぎる時間。ベッドで愛しあったり、寝過ごしてダラダラしたり。もう”死ににくい身体”も必要ないのだから、機械パーツは全部人工生体パーツに替えてしまおう。そうすれば、本当の意味で宗一と抱き合うことができる。

 戻ってきた宗一はトレイに手当用品を満載にしている。トレイをワゴンに載せてベッドサイドに座り準備を始めた宗一に、森永は傷を診てもらうフリでにじり寄った。
「ね、宗一さんの部屋ちゃんと居住区に移しましょうよ。家族用の部屋もありますよね?一緒に住んじゃうのは?」
「バカ、動くな!後ろ向けって!」
 顔も寄せてくる森永を、手が塞がっている宗一は肘で小突いた。くすくす笑う不真面目な患者を睨みつけながらも淀みなく包帯をほどく宗一だったが、背中のシートを剥がした時、その手がぎくりと止まった。不穏な様子に森永が笑いをおさめる。
「どうしたんです」
「痣……皮膚を替えたのに」
 背骨の中心あたりをなぞった宗一の指は震えた。背の皮膚形成は問題なく完了しているが、そこにはあの、羽ばたく鷲の形がしっかりと浮き出ていた。バイオフィルムを貼った時にはもちろんなかったものだ。
 しかし一瞬の驚きから覚めてみると、何かが違うように見えて宗一は目を凝らした。メディカルチェックの時に見たものより、どことなく色が薄いというか、輪郭がぼやけている気がする。そもそも無地のバイオフィルムから造り出された皮膚に痣があるだなんて話は聞いたこともなく原理的にもあり得ないのだから、同じ痣が再現されるとも限らないのだが、あり得ないからこそ意味があるような気がしてならない。
「あの」
 黙り込んでしまった宗一を森永が肩越しに振り返ったときだった。突然、宗一の背後から素っ頓狂な声が掛かった。


「あっれぇ?まだ生きてる」
 濃茶の髪の男がいつの間にかもう一台のベッドに腰掛けていた。ヒュウ、と口笛を吹いてみせる男の座っているそれはつい先ほどまで森永の視界に入っていたベッドだ。間違いなく人の姿はなかったし、誰かが入ってきた物音もしなかったはずだ。
「てっきりもう死んでると思って来たのに!すごいじゃ〜ん」
 冷水を浴びせられた心持ちで、二人はヘラヘラと笑う悪魔を茫然と見つめた。呪いは継続していた。少しいつもと違う部分があっただけ。逃れられない。自業自得なのだから。

「けど俺はもらうもの貰ってかないとねぇ〜。さ、ソウくん」
 笑みを絶やさないまま、男はついと視線を横に流した。二人がつられて視線を追うと、ベッドサイドのワゴンに、これまたいつの間にか場違いなものが置かれていた。
 それは古い短剣だった。鞘にも柄にも超古代の紋様が刻まれている。何を表わしているものかはわからないが、およそ地球の一級博物館でしか見られないような凝った細工である。くすんでところどころ摩耗した様子はいかにも古めかしい。
「いつものことだろう、ほら」
 言葉もなく、促されるままに宗一が手を差し出した。剣を手に取り、震える手で鞘から刀身を引き抜く。外見の古さから想像できないほど抜き身は新品のように艶やかで、光を鋭く弾いた。ただしその色は_____血を封じ込めたかのように赤黒く染まっていた。
 宗一は刀身に映り込む自分を見つめた。今までなんの感慨もなく繰り返してきたことなのに、ひどく恐ろしく感じる。その理由はわかっている。少なくともいま、黒髪の男は生きてここにいるのに。

 なにを、と叫ぼうとして森永は声を出せないことに気付いた。声だけではない、金縛りにあったように身体が動かない。ベッドの上に座り込んだまま、ようよう動かせるのは眼球のみだ。
 不安に駆られた森永の視線が宗一と剣と悪魔とを行き来する。森永にとどめを刺そうというのだろうか。それとも。
「君らが転生し続けるために必要な代償さ」
 答えたのは濃茶の髪の男だった。同じく濃茶の瞳を細めて唇の端を上げる。
 _____だって……それは俺が。
 支払っているはずだ。あれは夢ではないのだから。
 記憶の底に押し込めていただけの、テツの罪。

 疑念は声にならない。しかし悪魔は心まで読むのか、揺れ惑う森永の視線を捉えて嘲笑う。
「はは!まさか君、自分の命ひとつで君ら二人分の転生と記憶を購えるとでも思ってたわけ?」
 哄笑が耳を聾する。刀身を見つめたまま動かない宗一が何をしようとしているか_____
 理解して、森永の全身は瘧のように震えた。自分の死後、彼が人生を全うできるように、それだけに心を砕いてきたのに。彼の幸せを願って。繰り返し生まれ変わる業を背負わせるかわりに、幸せな人生を。
 森永はがむしゃらに身体を動かそうと、歯を食い縛ったが無駄だった。頼りなく薄い宗一の背中と、雑に括った髪の結び目から覗く首筋。そこにスローモーションのようにゆっくりと赤黒く光る刃があてがわれるのを、ただ眺めているしかなかった。

 静まり返った医務室に、ふ、と軽い一呼吸が落ちた。続いてびしゃ、と水音。
 鮮血が床と言わずベッドと言わず飛び散って、森永の頬までも濡らす。ベッドサイドに腰掛けていた宗一の上半身は前方に傾ぎ、重い音とともに床に崩れ落ちた。


「…………!!」
 身動きもままならず、森永は絶叫した_____つもりだった。やはり声は出なかった。
 これは一体どういうことなのだろう。いつも先立つのは自分だったのに。そしてそれが当然の報いだと思っていた。だが本当に辛いのはどちらだろう。相手のために尽くせたと信じ込んで心静かに時間が来るのを待つことと、相手から愛と死を受け取り、挙句に自害を強要されるのと。
 声を出せたとして何が言えるだろう。森永が出すことができたのは涙だけだったが、彼が黙って耐えてきた果てのない重荷を思えば、それすら許されるものではなかったのだ。

「俺はさ、テツくん。君には感謝してるんだよ」
 向かいのベッドから立ち上がり、近づいてきた悪魔は森永の視界中央で歩を止めた。涙に濡れた眼に映る滲んだ姿が、足元に横たわった宗一を首を傾げて見下ろしている。
「この世に執着を持たないソウくんの魂はちょっと味気なかった。言ってみればフカヒレみたいなかんじ?」
 貴重だし食感はいいけど味がないっていうか、などと続ける男の発言は理解できない。ただこの男にとっては二人の想いや苦しみなど、毛ほども気にかけることではないのだ。それだけははっきりしている。
「それが君と出会ってから見事に変わった。非常に魅力的にね。待って良かったと思ったよ。この素晴らしい魂を繰り返し手に入れることで、俺は永く力を保てる」
 森永はまた全身が震えるのを感じた。今度は先ほどの背筋が凍るような恐怖とは違い、熱とともに足元からせり上がってくる。目の眩むような怒りが脳を焼き、身体中の血が沸騰しそうだ。これほどの怒りを感じたのは、繰り返す生のなかでも初めてのことだった。


 その時小さくカハッと咳上げる声が聞こえ、一瞬で森永の頭は冷えた。宗一だ_____まだ息がある。
 悪魔もそれに気付き、酷薄な笑みを浮かべていた口元を歪めた。腹立たしそうに左右を見やり、何かに気付いたように上を見上げる。腹立たしげな舌打ちの相手はどうやら木星らしい。
「ちっ、磁場か。うまくいかないな」
 そのまま男は足先で宗一をひっくり返した。宗一が苦しげに声を漏らすのもまるで意に介さず、屈んで手を伸ばす。相変わらずベッドに起き上がって首を捻った姿勢で動けないままの森永から、男が血塗れの宗一が握りしめたままの短剣を取ろうとするのが辛うじて見えた。

「うっ」
 バチ、と鋭い音とともに小さく呻いて悪魔が数歩後退った。森永が瞬いて目を凝らしてみると、宗一の身体はぼんやりとした光に包まれている。幼い頃地球で見ていた夕焼けのような、暖かい橙色の光。それはなぜか懐かしいような気配で森永の気持ちを落ち着かせた。
「困るなぁ、悪戯は」
 弾かれた手をわざとらしくさすり、宥めるように口の端を上げてみせる悪魔の虹彩はいつの間にか紫紺に変わっている。その視線の先は剣の柄にぶら下がった小さな石だった。革紐に繋がれたまま小刻みに震えている乳白色のそれには深紅の筋が爪痕のように取り巻いている。
 森永はその昔、ソウに贈った石のことを思い出した。血のような色だけが異なるが、形や模様は記憶にあるものと寸分違わない。改めて見てみると、それはやや歪んでいるものの縞模様も美しく、今も上空にて彼らを見下ろしているはずの木星に似ていた。
 そしてそれが一体どんな偶然なのか、それとも運命なのかわからない。しかし森永_____テツは、宗一を包む光がその石から発せられていること、その光がいつの間にか懸命に兄を守ろうと手を広げる少女であることを見て取ったのだ。
「あぁ……わかった。カナちゃん」
 少女と視線を合わせた瞬間、身体の硬直が解け動けるようになったことに森永は気付いた。大きな瞳に哀しみを宿した少女は縋るように、しかし意思強く口元を引き結んでいる。彼女は森永に頷いてみせ、悪魔に向き直るとぐっと肩に力をこめた。

 するとまだ夕方にもならない時間帯、照明がなくとも十分明るいはずの室内が急速に翳った。暗視できるはずの眼にも闇に沈んだ周りの様子を映すことが出来ず、森永は手探りでベッドから滑り降りた。身体を低くして目を配っても、ぬば玉の闇がすべてを、少女の姿さえも覆い隠してしまっている。
 まるで別の空間に移動でもしたようだ。覚えのある位置に手を伸ばしても、サイドワゴンや点滴スタンドらしきものに触れない。宗一の身体もどこにあるのか分からない。床だけは記憶と違わないリノリウムで、そのくっきりした感触に少なからず安堵を覚えながら、森永は先ほど濃茶の髪の男が立っていたと思しき場所へ低姿勢のまま進んだ。
 どこだ、と呼びかけた声はまるで屋外にいるように吸い込まれて消えた。こだまのかわりにクスクスと含み笑いがどこからともなく降ってくる。これでは居場所を把握することすら出来ない。歯噛みしながらも絶え間なく模索を続けていると、何か固いものが指の先に触れた。探り当てたと言うより手の中に飛び込んできた_____のはあの、古代の剣の柄だった。それは宗一が手にしていたはずのものだが、慌てて周囲を確認してもその姿はない。とにかく唯一掴んだ武器を、森永はしっかりと握り締めた。

 複雑な紋様が掌に不思議と馴染む。森永の体温に呼応するように、柄を中心にじわりと柔らかい光が滲んだ。そういえばあの石は柄に括りつけられていたのだった。剣を目の前に掲げてみても少女の姿は現れなかったが、かわりに闇の中で夕陽色の光を反射した一対の煌めきを、森永は視界の隅に捉えた。
 人外を相手に刃物が有効だろうかとか、そういったことは念頭に浮かばなかった。その上このような古風な武器は扱うどころか持ったことすらなかったが、それなりに訓練を積んだ身体は瞬時に構えて狙いを定めた。おそらく視力を奪われていたのは森永だけだっただろうが、矢のような速さで飛びかかったサイボーグの渾身の一撃を避けることは、悪魔ですら難しかったのだろうか。煌めきの間隙_____つまり眉間を狙って突き立てた短剣は、確かに重い手応えを返した。

 一瞬のち、まさに獣のような咆哮が轟いた。手のひらに走った衝撃で弾かれ、倒れ伏した森永が床に手をついて見上げると、闇の中に浮かび上がっていたのは両手を広げたほども大きさのある眼だった。両眼の間にはあの刀が、闇に切っ先を沈ませて揺れている。
 ”眼”から発せられる悲鳴は長く高く続いている。その叫びがそのまま圧力を持っているかのようで、森永には間断なく強い重力がかかった。リノリウムの縁に爪を立てて堪え、なんとか目を上げると、刀身を染めていた朱殷が徐々に薄れていくのが見えた。まるで呪いが双眸に飲み込まれるように、澄んでいた葡萄色が赤黒く濁っていく。同時にまだぼんやりと光を宿していた石からも光が失われていき、その深紅の筋は乾いた褐色に変じていった。
 薄れゆく意識のどこかで、いま自分は木星を見ている、と森永は思った。宗一と一緒に見上げたその姿_____太陽の支配から逃れ、本来の姿を取り戻した。

 最後に耳に残ったのは、革紐の切れるぷつりとかそけく優しい音だった。



***



「おまえ二階級特進だってさ」
 町の外れの墓地に佇み、中尉は主の居ない墓に苦く呟いた。歴史的な戦勝から一年、町は記念式典で沸いている。多大な貢献をした大尉は英雄であり、祭りの主役だ。
 中尉は座り込んでウイスキーの小瓶を墓石に乗せると、もう一つを懐から取り出して栓を抜いた。カチ、と飲み口を合わせ、ゆっくりとひとくちを飲み下す。
「少佐も盛大に讃えられてたけど、退役しちまったよ。事後処理すませてさっさとさ」
 中尉は立てた片膝に頬杖をつき、ぼおっと墓石を眺めた。元大尉の遺体は見つかっていない。法律に基づいて一年間は死亡届が保留されていたが、そもそも基地の爆発は少佐の隊が潜伏していた位置から見ても大規模なもので、爆心地にいた者が助かるとはとても思えなかった。
「えっ?!少佐退役しちゃったの!」
「ああ、どっか田舎に引っ込んじまってそれっきり……」
 言いさして中尉は言葉を失った。今の声はまさか。
「………!…?…!」
「どおりで手紙出しても音沙汰ないはずだよ……軍宛に出しちゃったもんな」
 振り返るのが怖いくらいだ。恐る恐る中尉が首をねじ上げると、背後にはみすぼらしい格好の男がひとり、立っていた。良かった何かあったのでも無視されたのでもなくて、と腕を組んで頷く男は英雄らしからぬ姿ではあったが、確かに中尉の同輩でもあり、上官でもある親友だった。
「……生きてたのか……!」
 跳ね起きた中尉を笑いながら制し、元大尉は自分の墓の前に座った。真新しい墓石の隅に置かれたウイスキーを手に取り、中尉に向けて片目を瞑る。
「このとおり」
 中尉は脱力して息を吐き、残りの酒を一気にあおった。まだ、目の前の光景が信じられない。

「まあ死ぬかと思ったけど……」
 苦笑した元大尉が語った内容は、まるで幸運の連続だった。爆風で吹き飛ばされた先で溜め池に落下し炎を免れ、そのまま落盤の勢いで基地から脱出し、しかし瀕死の状態で倒れていたところを、地元の部族の者に助けられたという。
「怪我治して元通り動けるようになるまでで半年くらいかな。その後治療費とか旅費稼ぐのに半年近くかかって、やっと帰って来たんだ」
 立派な墓作って貰ったのに悪いな〜、と軽口を叩く元大尉に、中尉はやっと親友が生きていた実感が湧き、顔を綻ばせた。拳でその広い肩を小突くと、甦ってきた男はにやりと笑った。
「おまえさ〜英雄に祭り上げられて凄いんだぜ。今だって町ではおまえの肖像飾ってパレードやってるんだ。ここは軍関係者しか入れないから静かなもんだけど……」
 言葉を切って元大尉の肩向こうをぽかんと見た中尉に、元大尉も振り返った。墓地の入り口から、細身の姿が歩いてくる。すでに軍服ではないが、シルエットは似たようなきっちりした着こなしで、片手に花束をぶら下げている。その姿を視認した途端、元大尉はバネのように跳ね起きた。

「少佐ーーーーーーーっっ!!!」
 次の瞬間、二つの人影がぶつかり、転倒するのを見て中尉は空を仰いだ。
「生きてたのか?!」
「少佐ぁ少佐ぁ会いたかったーーっ!」
「どかんか、重いだろうが!」
 しばらく続いた怒鳴り声と泣き縋る声の応酬がパタリと止んだのに、中尉は空を眺めたまま苦笑した。二人の間に何があったのか、今はもうわかっているつもりだから、長くなりそうだと判断して腰を上げる。確か反対側にも通用門があったはずだ。自分が横を通ったところで気づきゃしないだろうが。

「後で連絡しろよ」
 軍服の尻を払って声をかけると、土埃を蹴立てる四本の足の向こうでひらりと手が上がった。それで応えたつもりらしい。その隙に組み敷かれた_____こちらも元_____少佐の手も救いを求めるように伸ばされたが、見なかったことにする。英雄が奇跡の生還を果たせば間違いなく大騒ぎだ。しばらくゆっくり再会を喜ぶ暇もないだろうから、ちょっとくらい好きにさせてやって欲しい。
「もう上官じゃないから怖くないもんねっと」
 口の中で小さく呟き、中尉はひとつ口笛を吹いた。軽やかなその音は、遠くから流れてくる祭りの喧騒とともに青空に吸い込まれていった。



***



「それでは皆さん、お元気で」
 帽子を軽く持ち上げた、昨日まで警部だった青年に見送りの一団は口々に別れを惜しむ。ぶらりと身体の横にぶら下がったままの右手を残して次々と左手で握手を交わしていき、元警部は今日の青空と同じような、晴れやかな顔で手を振った。


 狙撃手の放った弾は二発。一発は右上腕を貫通して胸骨で止まり、二発目は腹部を抉っていった。頭を狙われなかった理由は定かではないが、単に物慣れた暗殺者ではなく、警部が死んだと思い込んで逃げ去っただけだったのかもしれない。彼が別荘に戻ったとき既に被弾から時間が経っていたし、とどめを刺されなかったのは不幸中の幸いだった。
 警部の意向もあって狙撃手の捜索は行われなかった。組織が壊滅した今もはや関係者が狙われることもないだろうとの予想は当たり、事後処理に追われること半年、平穏な日々が過ぎた。怪我が快復した警部はリハビリを続けたが、右手は持ち上がらないままだった。
 警部は上層部からさんざん慰留されていた。もともと鳴り物入りだった上に今回の功績は多大で、当然とも言える。しかしどんな役職を提示されようと、まだ前途有望なはずの若者は頑として首を縦に振らなかった。利き手が使えないのでは警察官として役割を果たせないとその一点張りで、遂に周囲を諦めさせた。
 警部補として近く勤めた彼には残念な気持ちも強かった。組織がなくとも犯罪が消えるわけではない。警部の手腕は今後も町の平和を守るために、非常に有用だろう。だがそれは彼らの都合でしかない。警部の離職を惜しむ同僚たちの中にあって、彼は無言だった。もう分かっていたからだ。
 凶弾に倒れたあの日、警部は警察官となった目的を果たしたのだと。そして右腕のかわりに第二の人生を手に入れたのだ。

「海辺の小さな町でね、知り合いと雑貨店をやるんです」
 退職を正式に署員に発表した日、警部は彼に一枚の絵葉書を見せ、嬉しそうに言った。田舎町の小さな漁港の風景。近代的ではないが、活気のある様子が鮮やかなタッチで描かれている。ちらりと見えた裏書きには一言、「元気だ」そして署名だけ。だが彼にはそれが誰から届いたものかすぐに分かった。消印の町名は、彼が半年前用意した三人分の身分証に記載されたものだったからだ。


「警部。……いや、失礼。どうぞこれを」
 彼は列車に乗り込もうとする元警部に近寄り、一通の封筒を差し出した。首を傾げる青年に、開けてみるよう促す。封はしていない。不思議そうに中身を確認した青年は一瞬瞠目し、そして破顔した。初めて見る年相応の、なんの屈託もないような笑顔だった。

 列車の汽笛が鳴る。
 最後に敬礼をして見せた黒髪の青年に返礼し、彼らは動き出した列車を見送った。彼は仲間達から何を渡したのかと質問攻めにあったが、いつものようにのらくらと躱して結局答えなかった。答えられない、という事情も実はあったのだけれども。

 オープンデッキに立ったまま、昨日まで警部だった男はもう一度手の中の封筒に目を落とした。そこにはやや変色した写真が三枚、入っていた。そもそもの始まりに持ち込まれた、今は無き組織の幹部を隠し撮りしたもの。日時も場所もバラバラだが共通点がひとつ_____眼鏡をかけた若い構成員が写り込んでいる。
 男は封筒だけを器用にコートのポケットにしまい込むと、左手に揃えた写真を咥え、おもむろに真ん中から裂いた。向きを変えてもう一度、更にもう一度。男の口元から細切れの紙片が舞い散っていく。
 眼鏡の青年がかの組織にいた証拠は紙吹雪となって、客車へのドアを開ける元警部のコートの背を彩った。



***



「じゃあ、あの無愛想なのと仲良くなっちゃったわけ?」
「まあね、だから日本にいるときは結構あそこで過ごしてるんだ」
「あんな何にもないところで何してるわけ……?」
「うーん……何って言われるとなぁ……。写真見たり、碁を打ったり将棋を指したり」
「じじくせ!」
 平日の午前中、駅から少し離れたところにある喫茶店はガラガラだ。常連らしい爺さん婆さんの他にはビジネスマンがひとり新聞を読んでいるきりで、なんとものどかな空気が流れている。
「まぁ命の恩人であることは確かだからな。邪険にしろとは言わねーけどさー」
 土日仕事で平日定休な職種だと、独身男はヒマで仕方ない。高校の同級生である登山家から連絡があったとき、渡りに船と飛びついたのは、彼のその後が気になっていたせいも勿論だが。


 皆で同窓会のような登山をした翌日、一人で山を降りた登山家は事故に遭った。おそらく怪我した足で、普段と感覚が違ったのだろう。普段なら何てことない1m程度の落差で転落したのだ。脳震盪を起こして倒れているところを折悪しく降り出した雨の中、例の小屋番が発見した。
 それぞれ都合をつけて見舞いに飛んでいき、病院で聞いた話に改めてゾッとする。怪我自体は大したことがなくともそのまま夜を迎えていたとしたら、まだ春も浅い山中のこと容易に凍死しかねない。海外の名だたる山を制覇した実績を持つ男ですら、こんなことが起こりうる。まったく山というものは、魅力的なだけでなく恐ろしさも兼ね備えている。


「別に無理して来てるわけじゃないんだ。親だって喜んでるしさ」
 ふーんと相槌を打ちながら、友人の男は先ほどお代わりをしたコーヒーをすすった。山岳写真家などどいうのはもちろん不規則な仕事だから、一度戻ったら数週間、時には数ヶ月も地元にいることになる。以前はそれでも出版社との打ち合わせや展覧会のために都内に部屋を借りていたが、最近はもっぱらメールなどで済ませてしまっているそうだ。
 今日も今日とて実は待ち合わせなのだと言う。あの小屋番は二ヶ月に一度報告等のため山を降りてくるのだそうで、その後の買い出しと荷運びを手伝うため時間を潰しているなどと聞くと、体のいい奴隷じゃないかという気さえしてくる。しかし楽しそうに近況を話す様子からは、こき使われていると言うより望んで尽くしていると言った方が正しいようだ。

 何度目かに登山家が腕時計を確認したとき、友人の背後でドアベルが軽やかな音を立てた。すかさず来客をチェックした登山家が、あ、と嬉しそうに笑う。
「ここ」
 ジェスチャーで座るかと問うたようだったので、友人は身体を捻って後ろを振り返った。知らない相手ではないことが分かれば同席しやすいだろうと考えてのことだ。自分のことを憶えているとして、だが。しかし見えたのは、どこか浮世離れした姿の小屋番が首を振って親指で外を示すところだった。
「ごめん、もう行かなきゃ」
 慌てて立ち上がった登山家が伝票を取ろうとするのを制し、友人の男はしっしっと追い払う仕草をしてみせた。どちらかと言うと会計をする時間が惜しいだろう。
「いいよ。俺メシも食ってくから」
「悪い、次は奢るよ」
 片手で友人を拝んだ登山家は、上着を引っ掴んで足早に出入り口へ向かった。残されたほうは軽く手を振って、座ったままその背を見送る。再びドアベルの音が響き、通りに面したガラス窓から並んで去っていく二人の姿が見えた。

「やっぱそういう……ことなのかな〜」
 テーブルに頬杖をついて彼はコーヒーに砂糖を少し足した。黒い液体をかき混ぜた後のスプーンを、意味もなく見つめる。高校時代から登山家はモテていたが誰にも靡かなかったため、そういう噂が囁かれたことは確かにあった。ただ女嫌いというより夢に向かって一直線という感じだったから、そう広まることもなく立ち消えたが、もしかしたら冗談から駒といったところだったのだろうか。
 だがそうだったとしても、彼らの友情は変わるわけではない。登山家の残してきた素晴らしい写真の数々の価値が落ちるわけでもない。
 彼はため息とともにスプーンをソーサーに戻し、ランチメニューを手に取った。


「俺のいない間、何か変わったことなかった?」
 麓より秋の訪れが早い山腹では、残暑もたちまち消え去った。火を焚くほどではない、しかし毛布は欠かせないベッドで、温もりを寄せる相手はもう微睡みはじめている。
「……何もない。いつも通りだ……」
「だって今回3カ月ぶりなんですよ。何かひとつくらいあるでしょ」
「もううるさい。寝る……」
 不機嫌に唸り声を出す小屋番はごろりと背を向けると、毛布を引っ張りあげて耳まで覆ってしまった。しかし寝付くより前に息苦しくなったらしい。しばらくすると自ら毛布を引き下げ、息をついた。どことなくきまり悪げな間があって、登山家は小さく笑ってしまう。

「ね、前世って信じます?」
「……唐突になんだ」
 笑含みの声で、これではふざけているように聞こえてしまっただろうが、問いかけた方は至って真剣だった。何が一番相応しい言葉だろう。前世、運命、それとも既視感。
「俺ね、あんたと前にもこうやって人生を過ごしてたっていう気がするんです。それもずっと昔から何度も」
「は、馬鹿馬鹿しい」
 小屋番の表情は窺えない。頰にかかっている髪をそっと指ですくっても、見えるのはシャープな肌の線だけだ。単なる睦言だと思っているのならば、いつも通り聞き流されてしまうのだろうが。
「だって出会った時だって運命と思った。俺にはこの人だけだって、すぐ分かった。あなたは?」
 不思議な気がするのだ。いかにも人間嫌いな風情の彼が、知り合ってまだそれほど時間も経っていない登山家のアプローチに意外とあっさり応じた。玉砕覚悟の告白が受け入れられて、もちろん喜ぶべきなのに唖然としてしまったくらいだ。だからもしかして、彼も自分と同じ感覚を持っているのではないかと思ったりもするのだ。

 そっと肩を掴んで引き寄せると、小屋番の男は薄茶色の長い髪をシーツに滑らせて登山家のほうを向いた。
 黒髪の男は恋人の首を飾る細い鎖に指を絡ませた。彼が肌身離さず身につけているそれは、ペンダントトップには少し大きい自然石を下げているものだ。他のアクセサリーにはこれっぽっちも興味など示さないのになぜ、と疑問をぶつけても、これは木星だからと返されただけ。それ以上何も教えてくれないのだが、石は木星を模したものというわけでもない。球状というより歪んだ分厚いおはじきのような乳白色を、紫紺の筋が取巻いている。太いものが三本、間を無数の細い線が走る様子は木星の縞模様と重ねられなくもないが。

 彼は答えない。秘密を湛えた色素の薄い瞳で黙って見つめるだけの恋人に、黒髪の男はそっと唇を重ねる。
「俺は信じてる。来世も、何度生まれ変わっても。きっとあなたに出会って恋をするよ。そして愛しあって幸せな人生を……永遠に」








スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: タイトルなし

ありがとうございます(^ ^)ハピエンに持っていけて良かった♪
森永くんは基本ナチュラル気障なイメージなので、書いてて恥ずかしいですww更新あまりできてませんが、気長にお付き合い下さいませm(_ _)m
検索フォーム
暴君時計
ゆずるさんから頂きました♪