WSS【清廉であれと魔女は笑う 2】

第2話です。


毎日暑いですね。
今年も奴らとの戦いの火蓋が切って落とされました。奴ら…あの、我々が近付くのを草葉の陰でじっと息を潜めて待ち、女子供からも容赦無く生命の流れを奪い取っていく…そう
蚊です。
いや、血が欲しいならやろう。それくらい構わない。だから麻酔要らないわ!痒い成分注入しないと約束するなら血くらいくれてやらぁ!




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「アレロック……第二世代抗ヒスタミン薬……副作用は軽微で眠気、怠さ、口の渇きなど。セレスタミン……副腎皮質ホルモン剤……これステロイドなのか。副作用は強く出ることがある……眠気、発熱、下痢、食欲不振、まれに妄想・幻覚、躁鬱状態……」
 インターネットで検索した薬の情報を眺め、森永は椅子に深く座り直して考え込んだ。宗一の発疹は診察の時にはすっかり引いてしまい、様子を見るようにといったん帰されてしまった。そもそも突発性の蕁麻疹は原因が特定出来ないことが多い。翌朝も全身を真っ赤にして起き出してきた宗一を見て森永は慄き、どうせまた消えるだろうから面倒だと渋る本人を宥めすかして、果ては懇願までしてやっと再受診させたのが発症から四日目のことだ。しかし症状が現れる時間帯やその長さがまちまちで特に思い当たる原因もないことから、疲れやストレスからくるものだろうと診断され、飲み薬を処方されただけだった。

 それから三日経つが、症状は一向に改善しない。改善しないどころか、繰り返すたびに酷くなっているようだ。発疹が引いている間は全く元の通りなのに、一度現れてしまうとそれこそ実験も睡眠も食事すらままならない程痒いらしく、宗一はまるで取り憑かれたように搔き毟る。掻き傷の酷いものは血が滲むまでになり、発疹が引いても痕が絶えなくなってしまった。
 かなり強い薬を処方されているにも関わらず効果は見られない上、明日には結果が出る予定のアレルギー検査も、おそらく原因の特定には至らないだろうと言われている。近所の皮膚科で検査できるのは一般的なアレルギー物質くらいで、今回の発疹の原因とは考えにくい。原因を特定できず、症状も治らないなら医学部付属病院への紹介状を書いてくれるとのことだったから、ひとまずはそこに期待をかけるしかない。
 宗一は頑なに大学を休むことを拒むが、森永には無理をしているとしか思えなかった。あまり眠れてもいないようだし、あれでは日中も作業が捗るとは思えない。かく言う森永もここのところ寝不足だ。夜中に何度も宗一の様子が気になって起きてしまうし、疾患についても色々と調べずにはいられない。眠気を覚え、頬杖で支えた顔の前で、じわりとディスプレイの文字がぼやけた。



 教科書とノートを端に重ねてある学習机。机の奥側に作りつけられた本棚には参考書と小説が何冊か。本棚の上には小さなCDコンポ。電源が入っているが、今は曲は流れていなかった。その上には洋楽のジャケットが飾るように立てかけてある。
 窓際に吊るされた制服と同じく、几帳面に整えられた部屋の床には、しかし衣類が脱ぎ散らかされていた。ベッドからは大人になる手前の少年の声が二人ぶん、くすくすと笑い含みだ。
「今日も八時頃まで大丈夫?」
「うん、いつもと一緒。親は仕事で兄さんは塾。真崎さんも大丈夫?」
 返事の代わりにキスを返す年上の恋人の背を撫で、哲博はまた口元を綻ばせた。
「シャワー行く?」
「うーんもうちょっと……」
 このまま、と呟く真崎は秀麗な横顔をふと曇らせた。考え込むようにシーツに頬杖をつく。
「どうしたの?」
 哲博は起き上がって手を伸ばし、恋人を抱き寄せた。真崎は引かれるまま身体を預け、哲博の裸の腹に頬を乗せる。
「哲博、考えてることがあるんだけど……」
「なぁに?」
 柔らかい髪に指を絡ませながら、哲博はいつも心の隅に在って無くならない小さな不安が膨らむのを感じた。彼が切なげな顔をすると必ずそうなる。真崎が自分ではない誰かを見ていることを、哲博は薄々感じ取っていた。その視線の先に誰がいるのかも。
 本音を聞きたい、けど聞きたくない。何か他の話題を探し始める思考に連動して、指先は白い背中を彷徨い出す。
 真崎は悪戯な手をかわして自分も起き上がると、しっかりと目を合わせてきた。冗談めかす暇もなく息を詰めた哲博に、重々しく決心を口にする。
「家を出ないか」

 哲博は驚いた。漠然とした恐れとはかけ離れたものであったことへの安堵もあったが、真崎はあまりそういったことを言うタイプではなかったからだ。その驚きを躊躇と勘違いしたのか、真崎は急に顔を赤らめ、俯いて言い訳をするように喋りだした。
「もうこんな、周囲の目を気にするのも嫌だし、親の言うことだって理不尽だと思うし。東京に行けば色んな人がいるし、俺たちだって堂々としていられると思うんだ。お金なら少しはあるし、高校中退だって構わない。狭くていいから部屋を借りて、二人で……暮らせば……」
 段々小さくなる語尾を遮るように、哲博は恋人を抱き締めた。そう簡単にはいくまい、あっという間に連れ戻されるかもしれない。だけど。
「うん、行こう。一緒に行こう。大丈夫、二人ならきっと何とかなる」
 先ほどまでの不安が嘘のようだ。彼はちゃんと自分を選んでくれた。哲博は胸がいっぱいになり、溢れた涙を拭った。
「そうと決まればすぐ準備しなくちゃね!真崎さんは先に帰って待ち合わせる?」
「実は俺、もう準備して駅のロッカーに荷物入れて来たんだ。……ありがとう、哲博」
 にっこりと笑い合い、哲博はいそいそと下着を身に付けた。とにかく荷造りをして、それからシャワーを浴びよう。クローゼットからスポーツバッグを取り出す。数日分の着替えと貴重品。制服も勉強道具も要らなければ、そうたくさん持ち物はない。コンポは持って行けないが、真崎から誕生日に貰ったCDは外せない。本棚の上を見上げて_____哲博は手を止めた。

「……哲博?」
 固まってしまった哲博を訝しみ、ベッドに腰掛けて毛布にくるまっている真崎が小さく首を傾げた。
「ごめん、真崎さん。俺……」
 何か忘れている。何か大切な約束を。
 哲博はCDのジャケットを見つめたまま、額に手を当てた。なぜか思い出さなければ大変なことになる気がした。
「俺……黙って出て行かないって約束したんだ。二度と泣かせるようなことはしないって」
 やっとそれだけ絞り出したが、一体誰とそんな約束をしたのだろう。親とではない。しかも”二度と”とは一度したことに対する誓いの言葉だ。哲博は家出など、まだしたことがなかった。
「……それは俺との約束じゃないか。一緒に行くなら破ったことにならないよ?」
 振り返ると、真崎は優しく微笑んでいる。そうだっただろうか。黙って出て行って泣かせたことなどちょっと思い出せないが、そう言われればそうに違いない。哲博は自分の妄言に気付いて可笑しくなった。
「そうだね、ごめん。なんか変なこと言っちゃった」
 照れ笑いで旅支度を再開しようと、CDアルバムを手に取った哲博はまた動けなくなった。アルバムは1970年代のラブソングをまとめたヒット曲集だ。ジャケットにはハートをモチーフにした幾何学的なデザインがなされている。なぜここにあるのだろう_____捨てたはずだ、家を出たときに。
「真崎さん……違う。約束は……」
 アルバムが手から滑り落ちた。カシャン、と音を立ててケースが開く。中身は空だ。
「先輩……」
 鼓動が跳ね上がり、哲博はその場に立ち尽くした。いつの間にか身体は少年期から青年期へと成長を終えている。だから尚さら振り向くのが怖しい。いま背後でベッドに座っているのが、先ほどまで睦み合っていた相手が、真崎であるはずがない。では_____誰だ。

 動くこともできずひたすら目を見開く森永の眼前で、学習机がぐんにゃりと輪郭を歪めた。そのまま溶けるように周囲の色が入り混じり、すべてが遠近感のない薄墨色にぼやけていく。冷や汗がとめどなく流れる背筋を伝って肩越しに、毒々しく甘い匂いが鼻を突いた。ぞっと総毛立ち、森永は反射的に振り返った。
 あったはずのベッドはもうない。そこには女がひとり、俯いて立っていた。
 見たこともない女だったが、森永は直感した。これは宗一が夢に見たという女に違いない。背の高い、均整のとれた体つき。身体を覆うものは膝にまで届くほどの豊かな黒髪と、僅かな薄衣だけ。ゲイである自身には芸術品のように美しい、という以上の感想をもたらさないが、非常に蠱惑的な存在であることは認めざるを得ない。女がゆっくりと顔を上げると、ふわりと艶やかな髪がなびいて笑みを形作った唇が見え隠れした。

魔女3aa

「あんたの仕業なのか」
 まるで魔女だと言った宗一の言葉は的確だった。優しげなのに、彼女の笑みには底知れない不気味さが漂っている。
 普通に考えればあくまでも宗一の夢に現れただけの姿が、森永の夢と共有されることなどあるはずがない。聞いた話から想起されたイメージが森永の脳内で形を取ったに過ぎない。だがこの女を前にして、たかが夢と思うことはできなかった。これは夢なのだ、聞いても無駄だと思い込もうとしても、口は勝手に動いて疑問を投げかける。対して女はにこりと笑んだだけだったが、細めた琥珀の眼が無言で問いを肯定していた。
「なんで……どうして先輩を」
 女は黙ったまま、するりと森永に身体を寄せた。真正面に立った彼女の目線は森永と同じ高さで、ひたと見据えられた途端、森永は指一本動かすことが出来なくなった。

「ソウイチを助けたいか」
 二つ目の疑問には答えず、女は顎下からなぞるように森永の頬を撫でた。顔を背けることすら出来ず歯を食い縛る森永をからかうように眉を上げ、爪の長い指先で今度は唇をくすぐる。
「言い方を変えよう。お前になら助けることが出来るが、どうする?」
 目を見開いて見返した森永に軽く口付け、魔女は歌うように呪文を口にした。

「ソウイチの代わりにお前が私のものになるなら、すぐに呪いを解いてやろう」

 その言葉に合わせるように、唇から柔らかな痺れが漣のように森永の全身に広がった。それはくすぐったく、不快なようでいて酷く官能的で、身体の芯からじわりと熱を呼び起こす。
「私のものになれば、味わったことのない快楽を与えてやる……女は愛せない質のようだが案ずることはない、肉体の形など何の意味もないこと。先ほども、愉しかったろう……?」
 唇が指でこじ開けられる。指で舌の先をくすぐられ、どっと唾液が湧いた。それは開いたままになった口の端から溢れ、たらりと流れていく。魔女は両手でそっと森永の瞼を覆い、そのまま頭を固定した。

「んん……っ!」
 侵入してきたのが女の舌であることは、気配から疑いようもなかったのに。その感触に、森永の全身を衝撃が貫いた。あまりにも覚えのある、馴染みのある感触だったからだ。それは主には自分のベッドで_____ある時は慈しむように、ある時は責め立てるように、口に含んでは愛撫してきた恋人の形そのものだった。
「……んん、う、ぐ…っ」
 魔女は両の手のひら以外、森永に触れてさえいない。相手は森永が無条件に愛すことのできない”女”であり、それも宗一を苦しめている張本人だというのに、反応する身体を自分の意志では止めることも出来なかった。
 宗一の形をしたものが唇を、舌を上顎を刺激する。そうして生まれた快感は、まるで自身が扱かれているかと思うほど、ダイレクトに下腹部を充血させた。
 脳裏を占めるのは絶対的な厭わしさであるにも関わらず、身体を支配するのは未知の悦楽であり、混乱しながらも結局絶え間ない刺激に従順に反応する自分に吐き気すら覚え、森永は屈辱に涙を滲ませた。しかし追い詰められた身体は留まることすら出来ず、魔女の舌を借りたそれがひときわ深く喉元まで差し入れられた時、崖から放り出されるように鮮烈な快感が森永の全身を襲った。
「んんんん……!」

 荒い息をこぼして脱力した獲物から、女は静かに身体を離した。まさか、と固く閉じていた瞼を開いた森永の目に映った彼女の舌はごく普通の形だったが、その舌先で舐め上げた唇の端からはどろりと白い液体が滴り、まるで下着の中を汚すはずだったものが女の口中に放れたようにも思われた。
「ソウイチは僅かにも反応しなかったが、お前は快楽に貪欲なようだな。何ならこの先ずっと、今のようにソウイチの自慰の手伝いをさせてやろうか」
 楽しげに口角を上げる魔女を前に、やはり森永は声すら出なかった。いや例え出たとしても、何も言葉にはならなかったのかも知れない。

 怒りや恐怖や、混ざり合わない幾つもの感情がどろどろと身体中を浸していく。宗一が誘惑に屈しなかったことさえも、安堵と喜びを感じる反面、自分は彼のように清くも潔くもないことを強く知らしめるのだ。たまに顔を出す劣等感が膿のようにジュクジュクと心を苛む。自分がひどく汚らわしく思われてならない。
 いつの間にか見えない拘束が解け膝から崩折れた森永を、魔女は表情のない瞳で見下ろした。
「また来よう。考えておけ」
 その声を最後に人の気配は消えた。森永はただうずくまり_____気が付けば机に突っ伏していた。びく、と肩が揺れたのに狼狽え、森永は反射的に椅子を蹴立てて立ち上がった。夢だったことに安堵したのも束の間、湿った股間に気付き、恐怖に近い動揺を覚える。全身に滲むほど汗をかいてもいるが、間違いようもなくそれは夢精だった。しばらく立ち尽くし、森永はのろのろと浴室に向かった。

 熱いシャワーを浴びながら、夢の内容を反芻する。女は何者なのだろう。悪魔、魔女、夢魔、淫魔。そのどれでもありそうで、そのどれでもなさそうな。森永の僅かなオカルト知識では、判別は困難だった。
 正直に言って、現実のこととは思い難い。だが一方でただの夢と看過することは出来なかった。森永とて超常現象だとか心霊現象だとかをそうそう信じる方ではないが、森永以上にそういったものに懐疑的な宗一が黙殺しなかったこと自体が、宗一もそう感じていることの証左なのだろう。
 宗一に話すべきかどうか。森永はすぐに首を横に振った。あんなことを説明出来るわけがない。森永が弄ばれた部分を省いたとしても、即座に身代わりに応じられなかったことがバレてしまう。
「違う、夢だと思ったし……あんな女信用出来ない」
 わざわざ口に出したのは、それだけじゃないと自分でも分かっているからだ。誘惑に弱いことを知られて軽蔑されたくない、身を投げ出せない意気地なしと見限られたくない。
「………っ」
 どこまでも身勝手な男。そのくせそう思われるのが怖くて、尽くして尽くしている。周りには傍若無人な暴君に滅私奉公よと気の毒がられるが何のことはない、肝心なところで我を通すのは必ず森永なのだ。
 わかっていても_____例え夢だとしても_____森永には、宗一から離れることを、自ら選ぶことが出来なかった。



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